9.3

紋別観光−美幌峠−屈斜路湖−川湯温泉


紋別観光
峠越え
川湯の夜は
番外編 嫁日記

紋別観光

紋別の朝は早い。
コインランドリーの開店に併せ、朝食を早めにとるためだ。
今日の食事も昨日に続いてバイキングである。 この後毎朝朝食はバイキングになるのであるが、この時点ではまだ飽きてはいない。
いや、ここで2人は再び紋別プリンスホテルのサービスの良さを実感するのである。
メニューは平凡なものであるにもかかわらず、ドリンク類の数がとても多いのだ。
コーヒー、牛乳、トマトジュース、オレンジジュース、グレープフルーツジュース。お茶。
朝食でこれだけそろっているのも珍しい。紅茶があれば完璧だ。

そして手早く支度をしてチェックアウト。
と、その前にフロントに行って写真を一枚。よかった、まだ残っていた。
昨日チェックインしたときに気づいて2人で笑っていたのだが、なんとフロントの脇に「歓迎 小柴様」の文字が!
これは撮っておかねばなるまい。

コインランドリーに行くとそこのおじさんが「昨日電話くれた人?」と言う。
どうやらホテルの人が電話をしてくれていたらしい。感謝感謝。
さらにそのおじさんも、洗濯はしておくから紋別観光をしてこいと言ってくれた。
洗濯に時間をとられ、紋別観光がほとんどできないかと不安になっていたところだったので、これはうれしかった。

というわけで、「サイトシーイーング!」
といってもかなりパーソナルな観光地を巡るので、このへんは読んでいる人の参考に全くならないかも。
海岸沿いの通りを少し行って中に入ったところに私の大学時代の下宿がある。
北海道特有の青い三角屋根だけはなにも変わっていなかった。下宿のおばちゃんにも再会し、しばし歓談。
ここにもはがきは送ってあったので結婚したことはすでに知れていた。
嫁を紹介し、「いい人をもらったね」と社交辞令をいただく。
おばちゃんは春に病気で入院したらしく、今は下宿生への食事の世話はしていないらしい。
食堂のワイワイと話しながらする食事が好きだった私には、それがとても寂しいものに感じた。
だがそれも時代の流れか。
おばちゃんが無理をしてまた倒れられるのも困るし、今の学生にはそっちのほうが気楽でいいのかも知れない。
だが下宿生は今、弁当などを買って食事にしていると言っていたが、それで体は大丈夫なのだろうか?
もちろんおばちゃんの食事だってたいしたことはなかったが、それでも私はあったかいご飯のほうがいいと思う。
しばらくして話も尽きた頃に私は、三年前まで住んでいた私の部屋を見せてもらうことにした。
下宿生も減り、その部屋は今誰も住んでいないらしいから、そのへんは遠慮がない。
狭い階段を昔のように上がり、廊下を左に行った一番奥。そこが私の部屋だった。
だいぶ傷んでいた扉は取り替えられていて、私が残していった「社長室」のプレートはなくなっていたが、
寒々とする青い絨毯はそのまま。
床の歪み具合も何も変わっていなかった。
窓から海を眺め、廃線になった名寄本線の線路跡を見、その窓のふちに座る。
紋別に帰ってきて、ここでようやく「懐かしい」と感じることができた。
それはなんだったのだろう。 すっかり変わった紋別の街と違い、ここは何も変わっていなかったからか?
部屋を座った高さの視点から見回したとき、それは分かった。
その懐かしい感覚は七年前この部屋にはじめて入ったときの感想に似ている。
デジャブに近い感覚がそこにあったのではないだろうか。
さて部屋をあとにして帰ろうとすると、おばちゃんからいくつかの手土産をもらった。
ジュースを数本とホタテの貝柱を一箱。口が開いていたものの中はほとんど手がつけられてはおらず、
土産屋で買えば10粒くらいで千円も取るという代物。 だからクズ物とは言え、この一箱で五千円くらいか?
親父へのいい土産ができたといいながら手を出し、そして止まらなくなってしまう。
危うく乾物の魔力に取り込まれるところだった。

下宿に別れを告げ、坂を上って大学へ。学生のふりをして中へ進入した。
私の在籍したデザイン科はもうないはずだが、デザイン棟だけはそのまま残っていた。
おばちゃんの話では本年度中に全学部が移転するという話はなくなったということだが、本当のところはどうなのだろう。
今日はまったくもって青空の広がったいい天気で、山の上にある大学からは鮮やかな青色のオホーツク海が広がって見える。
そんななかをしばし学内を嫁と散策した。
女の子と2人で学内を歩くなんて学生時代には一度もなかったこと。今日はそれを充分に堪能しよう。

山を下り、コインランドリーへ行くと洗濯はもう終わっていて、きれいにたたんであった。
おじさんがみんなやってくれたらしい。 ついでにおじさんから結婚生活の極意を聞かされ、なぜか新婚旅行であることを実感する。
こういう人生の先輩の話は重たいものである。
ところで、コインランドリーを出たところで嫁が「パンツがたりない」と言っていたが、あれはどうなったのだろう。
おじさんが盗ったのか、はたまた嫁の数え間違いか。
真相は聞かないまま謎として終わった。

まだ昼まで時間はあり、こんなパーソナルな観光ではなく、もっと一般的な観光をしようと今度は流氷タワーへと向かう。
すぐ近くに流氷科学館なるものもあるが、マイナス気温体験は昨日経験したのでやめておいた。
嫁が拒否したのも理由のひとつ。
流氷タワーとは堤防の先にある海に突きだした海底展望台で、流氷接岸時には流氷の下がのぞけるというものだ。
もちろんこんな時期に流氷が来ているはずもなく、ただの海中散歩である。
タワーに行くまでの堤防もゴマフアザラシなどが飼われていてなかなか楽しい。
天気のいい今日のような日はオホーツク海がとても鮮やかである。
客はほとんどいないため従業員はとても退屈そうで、喫茶コーナーのマスターがこっちを見ている。
この喫茶は私が学生時代によく小説を書きに行って長居をした喫茶店の支店で、
マスターも私を覚えているだろうかと思ったが、どうだったのだろう。
ただ客が少ないから、コーヒーくらい飲んでいってくれるかと期待したまなざしだったのだろうか?
しばし海を眺め、外にでると面白いものを発見。
「危険! 落ちたら死にます。高さはなんと8メートル!」
そんなあおり文句と、海に落ちた子供の魂が抜ける絵。
以前にも「落雪注意、死亡確実!」という看板を見たことがある。
北海道はどうしてこう露骨なのだろう。
あんまり面白かったので写真を撮って残すことにした。

再び紋別市内に戻り、昨日行った喫茶店を再び訪ねてみる。
3時からということだったが、もしかしたら開店準備で来ているかもしれないという期待からだ。
だがまだシャッターは閉まったままだった。
仕方なくお土産と手紙を残し、紋別を出発。
ちなみに昼食は喫茶「とあんくる」のパスタ。
港の見えるしゃれた喫茶店だ。
ちょっと後ろ髪を引かれながら、オホーツク海沿いに今度は南下する。


峠越え

国道238号をオホーツク海沿いに南下。
途中紋別空港の近くにあるコムケ湖を見に行く。
ここは白鳥の飛来地として知られていて、越冬のため飛んできた白鳥が日本で最初に羽を休めるところなのだそうだ。
そのためここで渡り鳥が見られるのは秋の終わりと春のはじめ。
ここでしばし羽を休めた彼らはさらに南下の旅にでる。
さて私達にはそんなに長く羽を休めている時間はなく、かるく景色を見たあとに再び238号に戻った。
やがて道は左手にサロマ湖を見るようになり、計呂地から道道685号に移り、内陸に入っていく。
このあたりになるともうあたりには牧場しかなく、嫁は再び「牛だ牛だ」と壊れ状態。
それほどつらい坂はない武勇峠を抜け、若佐を抜けたあたりで車を止めて、嫁と牛を同一フレームに納めた写真を撮った。
その向こう、山の中腹にある赤い橋のようなものを嫁に見せ「あそこまで登るんだよ」と教えたら驚いていた。
若佐からは国道333号にはいる。 その赤い橋はルクシ峠へと続く道で、左に大きくカーブしながら一気にそこまで登った。
そこから見える景色は私はけっこう気に入っている。 ルクシ峠へと続く道。左手に見える景色はなかなか雄大である。
先ほどの武勇峠に比べるとかなりきつい上り坂の続くルクシ峠はトンネルを越えたところで下りに転じ、
あとは端野まで淡々とした道が続いた。
途中端野峠という峠があったらしいが、それはあとで地図を見て気づくくらい平坦なものであった。
どうやらすでにトンネルで繋がっているため、通過しているときはまったく気づかなかったらしい。

端野の町は通過の予定だったが、急遽変更してハッカの商品が並ぶお土産屋へ入った。
まあ生理現象だからそれはしかたあるまい。
店を物色していると、このあたりはどうやらハッカが有名らしくハッカソフトクリームなるものも売っていた。
だがさすがにそれを食べる気にはならない。
たしかに北海道に来ての野望としてソフトクリームを食べるというのはあり、まだそれを実行してはいないが、
できれば最初はおいしいバニラにしたいものだ。
あとになってみるとその決断は後悔の対象になってしまうのだが、まあしかたあるまい。
偶然一緒になったツアー客がこのお店を大いににぎわせていて、
バスの中で飲み過ぎたのであろう酔っぱらいが暴れていたのを見たが、
それらが立ち去ったとたん店の中は我々だけになってしまった。
当然店員の目は我々に集中するわけで、なんの買い物もしない我々はちょっと居づらくなってしまった。
先日に引き続いてラベンダーのアロマキャンドルを探したりしたが、やはりいいものは見つからない。
しかたがないと、次の目的地へ急ぐことにする。
外にでて、なにげに看板を見ていると「歓迎 新潟日報様」の文字を発見。
そうかあ。新潟日報はこんなところにまで社員旅行に来るのか。いいなー。

今度は国道39号へと移り、美幌を目指す。
そうすると嫁が美幌といえばジャガイモが有名だと言い出した。
何でもカルビーのポテトチップスにも美幌産のジャガイモ使用とか書かれたことがあるらしい。
私は知らなかったが、そういうことならと街に入ったところで手近なスーパーに車を止めた。
その話がでてからここまでの間にジャガイモが好きな友人の土産をそれにしようという話で盛り上がってしまったのだ。
スーパーでわざわざ地物のジャガイモを手配してもらうように頼み、10キロ郵送を依頼する。
北海道土産といえば熊の木彫りとか夕張メロンポッキーなどだろうが、こういう土産も面白かろう。
問題はもらった人が喜んでくれるかどうかである。
どうだったのだろう?
美幌で国道243号に移る。
このあたりは私は来たことはあるものの、自分で運転したことは一度もないので、
道に関してはかなりカーナビ君に頼ったところがある。
もちろんなくったって迷うような道ではないのだが、たいへん便利だったということはたしかである。
美幌の街を抜けるまでしばらく直線が続く。
軽快に走っていると、ソフトクリーム屋を発見!
私は見のがしたのだが、嫁がちゃんとチェックを入れていて、また急遽Uターン。
けっこう地元の人にも評判はいいらしく、小さな店であるにもかかわらず客の出入りは多かった。
メニューはバニラと青リンゴの二種類。ちょっと悩んだがバニラにする。
さっそく店の前のイスに座り、試食。 これはうまい!
いい天気が続いていてちょっと暑いくらいだったせいもあり、おいしさは倍増。とてもおいしかったです。
道はしだいに上り坂に変わり、気付くとさっきからずーっと登っているような錯覚に陥った。
余り変化のない直線的な上り坂であるものの勾配はけっこう急で、それがいったいどのくらい続いたのだろう。
かなり登ったところで森の中だった道はしだいに空がひらけていき、
右手に太陽を見ながら峠道のもっとも高いところに来た。
とてつもなく広大な景色である。 美幌峠の駐車場に車を止め、写真撮りまくり。
西側には広大、雄大な北海道の景色。
東側は一転して、山が削りとられたように深く沈んだその底に屈斜路湖。
誰もいなかったら絶対にだれもが「うおーーーーー」と叫びたくなるような景色であった。
ここもまたまったく予想外の感動ポイント。いいところでした。
で、そんな感動をしたあとでもやっぱり小市民的に土産物屋の物色。
網走監獄キャラメルなるものを買った。謎である。

先ほどの直線の続く上り坂とはまったく違い、下りは急カーブの連続するとても危険な道だったが、
基本的に車は少ないので安心して運転ができる。
あれだけ長い上り坂だったのに下りはあっというまである。
屈斜路湖畔はすぐに目の高さになり、それを左手に見る道道52号にコースをとった。
途中アイヌ民俗資料館による予定だったが、もう日暮れが近かったためすでに閉館していて、周囲はとても静かになっていた。
嫁もあまり興味がなかったようだし、目指す川湯温泉は目の前だと車に乗ろうとすると、嫁が木彫りの店を発見。
行ってみると髭面の親父が接待してくれた。店にあるものはほとんど彼のオリジナルらしい。
さて北海道で木彫りといえば鮭をくわえた熊が定番であるが、最近はいろいろなものが出回っているらしい。
熊やニポポ人形は定番として、鶴、狐、コロポックルなどいろいろな題材が出回っていた。
中でも最近はフクロウの人気が高いらしく、あちこちの土産屋で見かけることができた。
もちろんこの店でも見ることができたが、私の目を引いたのはコロポックル人形。
この時点では木彫り人形は買う気はなかったので何も言わなかったが、買うならこれにしようと心に決めたのだった。


川湯の朝は・・・

道道52号の屈斜路湖沿いは緑のトンネルのような道が続く。
左右から覆い被さるように木が並び、ここをドライブするととても気持ちがいい。
新潟でいうと国道402号の越前浜付近が煮たような風景である。
このあいだ402号を走ったとき、嫁に「君がこの辺を好きだと言った訳が分かった気がする」と言われた。
なるほど、この風景が私の原点になっているのかも知れない。

やがて屈斜路湖を離れ、車は川湯温泉の街に入っていく。 街に入るとなんと温泉街なことか。
狭い道に車と浴衣親父がひしめき合うこの風景は何とも温泉街であることを印象づける。
本日の宿は川湯第一ホテル。
ところが持っていた地図が中途半端なため、ホテルを見つけられずにうろうろすることになった。
ようやく着いて駐車場に車を止めると、宿の人が飛び出してきた。
「いらっしゃいませ、お疲れさまでした」 と車から出そうとしていた我々の荷物を持ってくれる。
この反応の早さといい、さぞいいサービスが期待できるのか?
フロントにはいると何とも懐かしい感じのホテルである。
古いと一言で言ってしまうのは簡単だが、それだけではないいい感じを醸し出すホテルである。
まあいくつか気になるところはあった。 部屋に入り、内風呂を覗いてみるとけっこう汚い。
掃除はしてあるのだが、古さがにじみ出た風呂である。 まあそれは大浴場があるのだから関係ないか。
部屋はかなりの広さで、家族6人くらいが入れるのではないかという大きさだった。
この広さを2人で使えることに我々は驚くが、実は数日後もっと驚くことが発生することをまだ知らない。
だからそのときはその充分の広さを喜んでいた。
部屋にはいるとすぐに仲居さんが入ってくる。
ひとしきり部屋の説明をして、食事の時間を聞かれたので6時半をお願いした。
このとき他の時間にもできますよと仲居さんが勧めたのには実は意味があって、これもすぐあとに分かることである。
しばらく荷物の整理をして、6時半。
食事を待っていたがいっこうに食卓に食事が並ばない。
どうしたのかと思って食事をもってきた仲居さんと話をしたら、なんでもツアー客が入っていて、満室なのだそうだ。
しかもその客の食事も6時半だったのだそうで、しきりに違う時間を勧めた理由はここにあったのだ。
なるほどたいへんだなあと思いながら食事に手をつけ、
しかも忙しいのが分かっているのに「早くご飯を持ってきて」と要求する。
とんでもない2人である。
でも、おかずがおいしいからこそご飯と一緒に食べたかったという気持ち、分かるよね。

さて食事が進んでいくと、なにか嫁の様子がおかしい。
話しかけても無口だし、反応も遅い。
これは・・・ 疲れてかなり眠いようである。
温泉地に来て温泉に入らずに寝てしまうのももったいないが、
こうなってしまった嫁はもう動かないことを長いつきあいで私は知っている。
ああきっともう動かなくなってしまうんだなと思い、
早めに布団を敷いてもらおうと連絡したがこれも満員のため遅くなってしまった。
8時半頃になり、ようやく布団が敷かれるともう完全に嫁は寝モード。
せっかく「川湯温泉湯巡り」なる川湯温泉のすべての湯に入ることのできるパスポートをもらっていたのだが、
一湯も入ることなく嫁は眠ってしまった。
なんどか起こしてみることを試みるもまったくダメ。
仕方なく「ひとりで入ってきて」という言葉にしたがうが、風呂は思ったより狭く、露天風呂もぬるくていただけない。
他の湯は分からないが、少なくともこのホテルの温泉はいまいち。
部屋に戻っても嫁は寝たままで、そのまま夜は更けてしまったのであった。


番外編 嫁日記

さて紋別見学。 まずは旦那のいた下宿訪問。旦那のいた部屋を見る。
旦那のサークルの秘密基地訪問。9月なのにきれいに咲いた紫陽花発見!
道都大学訪問。なんかすごく見晴らしのいいキャンバス。
そしてオホーツク流氷タワー。んー人がいない。 市内喫茶店で昼食。
・・・北海道来てパスタ、そういえば北海道らしい昼食って食べてないかも。

紋別を出発して峠越え。途中で食べたソフトクリームはさっぱりしておいしかった♪
美幌峠では写真撮りまくり。両手広げてみてもその広さにはかなわないよ。
峠景色の反対には湖があって、北海道だねーなんて思ってみる。
遠く感じても案外そこに行き着くのはすぐだったりして、
距離と時間の関係がいまいちつかみにくい土地なので、目的地まではあっという間。
川湯温泉、疲れて寝た夜。旦那そっちのけ。


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